韓国語で本を読む

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韓国小説や韓国語学習書籍を紹介するブログです。

「愛する源氏物語」(俵万智)古典に苦しむ学生たち、今すぐ読んでみて。

オリラジの中田敦彦さんのYoutubeチャンネル「中田敦彦Youtube大学」が大好きで、特に文学編は何周もしてしまうほど視聴しています。

 

文学編の中でも特に好きな動画が「源氏物語」です。

 


www.youtube.com

 

受験勉強のときざっくりあらすじだけは勉強した記憶はあるんですが、なんせ登場人物が多くてすっかり忘れてしまっていました。

 

中田敦彦さんの動画であらすじを知り、改めてその面白さに惹かれ、今回はこちらの本を選びました。

 

俵万智さんの「愛する源氏物語です。

 

中田敦彦さんが『源氏物語』のあらすじをざっくり面白く解説しているのに対し、俵万智さんは作品の中で登場する和歌に注目して源氏物語の世界を解説されています。

 

なので、人物説明についてはばっさり省かれています。

源氏物語のあらすじや登場人物の予備知識がない方はこの本の面白さが半減してしまうので、ぜひ中田敦彦さんの動画であらすじと各キャラクターの知識を頭に入れてから読んでみてください。

 

 

いざ図書館で借りてきたはいいものの、和歌の知識がまったくない私には少しハードルが高いのでは・・・と心配していたのですが、最初の章でがっつり引き込まれ、一気読みしてしまいました。

 

 

◆「古典は共感できないからつまらない」と思うのはまだ早い

「愛する源氏物語」の第1章では、かの有名な「源氏物語」の冒頭の一節「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、〜」について解説されるのですが、この解説がいきなり面白い。

 

俵万智さんが注目したのは「なぜ桐壺更衣より身分の高い女性たち以上に、彼女より身分の低い女性たちの方がより激しく彼女を憎んだのか」ということ。

 

そういえば、高校生のときに授業で古典の先生がこの感覚について説明してくれていた気もするのですが、「昔の人の感覚はよくわからん」という思い込みがすでに出来上がってしまっていたため、スルーしてしまっていました。

 

以下は引用文です。

 

 つまり嫉妬とは、そういうものだ。と作者は考えている。分不相応な幸せを手にしたものに対して、その人と同じくらい分不相応の人間が、もっとも強く妬みの気持ちを抱くのだ、と。

 現代におきかえれば、たとえば、人気絶頂のスポーツ選手が、誰かと結婚したとする。その状況だけで、いやおうなく嫉妬はされるだろうが、相手の女性が、才色兼備で性格もよさそうな場合なら、そうでもない多くの女性たちは、まあしかたがないと思うだろう。が、それほど美しくもなく、頭がよさそうでもない人が結婚相手だった場合、より多くの女性が嫉妬する。私のほうが、よっぽど綺麗だわと思っている美人はもちろん、同じくらいの器量の女性たちは、さらに心が穏やかでない。

 

そういえば、むかし友人が「彼氏の元カノの写真を見せてもらったら、私より不細工だった!むかつく!」と、それはもう長いこと腹を立てていました。

嫉妬の経験があまりない私は「そこは普通安心するとこなんちゃうの?」なんて思っていたのですが、要はこういうことなんですね。

 

「現代人には理解できない感覚」と思い込んでいた古典文学ですが、それは文化や風習の違いからくるものだけの話であって、根底にある感情や感覚そのものは、今の私たちと同じなんだと思い知らされました。

 

 

◆「和歌が上手な人・下手な人」を現代の感覚で置き換えると?

源氏物語』という作品の中で、紫式部はキャラクターによって和歌のクセや上手い下手までをも巧みに使い分けています。

今までは「『源氏物語』は和歌がいっぱい出てくる物語」程度にしか思っていませんでしたが、よく考えるとめちゃくちゃ凄いことですよね。

 

たまに物語の中に出てくる劇中作がめちゃくちゃ面白そう、これ普通に連載してくれへんかなと思うことがあるんですが、まさにそれですよね。

 

先ほど述べた「和歌の上手い下手」について、『源氏物語』の中では、末摘花と近江の君が和歌下手代表と言われています。

 

この二人の和歌がどう下手くそなのか、古語の知識が消え失せた私にもわかるように、俵万智さんが丁寧に解説してくださっているのですが、今いちピンと来ない。

 

「言われたらなるほどなって思えるけど・・・」と、こういう感覚です。

 

なら現代人の感覚でもわかるようにLINEに置き換えて考えてみました。

 

私の主人は文字を読むのがとても苦手で、LINEでも3行以上の文章になると読むのを諦めたり、とんでもない読み間違いをしたりします。

 

たまにいませんか?

こちらが送った質問内容に、まともに返事が返ってこない人。

そういう人は、「はい」か「いいえ」で答えられる形にして聞いてみても、なぜか意味不明な返事を返してくる。

 

元来筆まめじゃない私は、例え「ちょっといいな」と思っている男性でも、初デートの予定を決める段階で「あ、この人LINE下手くそな人やん」と思ってしまうと一気に冷めてしまったりします。

 

まさにこの感覚が「下手な和歌を詠んでがっかりする感覚」というものなのではないでしょうか?

 

これに気がついたとき、よく分からんと思っていた和歌にも、共感できる部分を見つけられた!と大喜びした私ですが、ここでさらに面白いことに気がつきました。

 

俵万智さんが言うに、和歌を詠むさいに「あえてどちらとも取れるように、複数の意味を持たせる」ことが和歌上手のテクニックだそうです。

先ほどのLINEに置き換え手法でいくと、そんなややこしいことやめてって思うんですが、それこそが和歌の上級テクニックなんですねー。

 

よく知りもしない相手に、情熱いっぱいの和歌をいきなり送りつけたところで引かれるのは当然。

ましてや女性の側からそんなゴリゴリ肉食系の和歌が来たら、いくら平安時代のプレイボーイたちもドン引きすると思います。

 

そこで和歌上手(=恋愛上手)な女性は、和歌に二重の意味を持たせるそうです。

受け取った男性が万が一ノリ気じゃなかった場合、和歌の真意をあえて取り違えて返事をすることができるようにするために。

男性が気を遣わずに断れるように、逃げ道を作ってあげるんです。

 

考えてみれば、LINEでもあえて曖昧な感じに書いて送ることってありますよね。

ただ、それはもし断られたときに自分が気まずくならない為の予防策、という側面が大きいように思います。

けれど『源氏物語』の女性たちは、相手の男性のためにそうするんです。

 

紫の上との別れを嘆く和歌を光源氏が詠んだとき、紫の上は「こんなときでも自分本位なのね」とがっかりしたのではないか、と俵万智さんは述べているのですが、自分のことは度外視で相手のことだけを考える恋愛なんてまず無理な話。

紫の上が亡くなること以上に、紫の上を失う悲しさや寂しさを嘆く光源氏の感覚の方が、現代の私たちに近いのかもしれません。

 

 

 

古典文学や海外文学を読むとき「このよくわからんどうすれば面白く読めるのか?」が、いま現在の私の読書テーマでありモチベーションだったりします。

(もちろん、現代の小説ももっと深く理解して楽しみたい!という気持ちもあります)

 

三宅香帆さんや俵万智さん、中田敦彦さんなどの、めちゃくちゃ面白い作品の面白さを凡人にも理解できるように噛み砕いて教えてくれる方たちのおかげで、私も少しずつ今まで以上に楽しい読書ができるようになってきたように思います。